同窓会
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 松っちゃんと西やんは、饅頭とオレンジジュースを目の前にして嬉しそうに笑っている。
「この羊羹はどちらのですか?」
「たかぎ屋です」杉山が持参した羊羹を三人でほおばっている。
 老人は噂に聞いていた和菓子の名店の羊羹とはこんなにも美味いものだったのかと、感心しながらまた一口運ぶ。長いこと生きてきたけれどまだ知らない味はたくさんある。味だけではない。まだ見たことのないもの、聞いたことのないものがどこかにたくさんあるはずだった。だが、それらを楽しむにはもう残りの時間がないことも分かっている。どうしてもっと早くにそれらに出会わなかったのかと、機会はいくらでもあったはずだったのではないかと、口惜しく思う。
「ありやす堂の饅頭もなかなかですよ」と杉山が笑う。
 三人はここまで、昔話の類にはあまり触れようとしなかった。ここに来るまでは思い出話に花を咲かせるつもりで期待をしていたのだが、いざ会ってみるとまず肝心の、それぞれについての記憶がなかった。よりによって、せっかく集まっているこの三人が一緒に遊んだ覚えがない。そもそも三人とも同じ学校とはいえ、遊んだ環境がばらばらで話が合うはずもなかった。杉山は松ちゃんと西やんを従えてやんちゃのかぎりを尽くしていたし、ハカセは勉強に明け暮れて遊びを知らなかった。老人はそのどちらにも夢中になったことがなく、遊びにも勉強にも深い思い入れがなかった。
 このまま自分は死んでしまうのだろうか。それとももうすでに死んでいるのだろうか。何かやり残したことはないのか。
「はっ」と短い声を発したかと思うと、ハカセが急に立ち上がり、体をばたばたと動かし始めた。それはまるで追い詰められた男がマシンガンでめった撃ちにされているようだった。関節を失ってしまったかのようなハカセの腕や足や頭が不規則に、かつ大胆に揺れる。
 気がおかしくなってしまったのか、もしくは何かの病気に冒されているのか、この教室には何やら得体の知れない伝染病でも巣食っていたのだろうか、老人と杉山は恐ろしくなり、それぞれゆっくりと椅子から離れる。ハカセの目はもはや焦点を失っており、もしその目があってしまったら、この恐ろしい病が伝染するのではないかと恐怖する。
 ハカセはそのまましばらく不規則に揺れ続けていた。そうとうな運動量だと思える動きだったのだが、ハカセは強靭な肉体でもってそれを克服し、長く揺れ続けた。もしかしたらそれは短い、ほんの数秒の出来事だったのかもしれないし、ハカセの肉体はあっという間に悲鳴をあげていたのかもしれない。が、老人と杉山にとってはそれが永遠のように感じられたし、ハカセが怪物か妖怪にでもなってしまったように感じられた。
 ハカセは最後に「はっ」と短い奇声をあげると、体の芯を失ってしまったようにへなへなとその場に座り込んだ。それでもまだ騒いでいる左胸を押さえながら、せわしなく息をしている。荒ぶる鼓動で自分の生を確かめている。
「大丈夫ですか?」杉山の問いかけを右手で制しながら、ハカセはゆっくりと息を整え始めた。そして呼吸を確かめながら答えようとする。
「だっはぁ,だっはぁ,だっはぁ……」呼吸に邪魔されて言葉が続かない。まるで危険信号のようにハカセの口から音が漏れる。
「無理なさらなくて結構ですよ」と老人がハカセの肩に手を置くと、ほっとしたような表情のハカセがぎゅっとそれを握った。力強い手だった。ぬるぬるしていた。そして熱が伝わってきた。それがハカセの生きる力なんだとふいに思う。そのハカセの熱量に、老人は急所を捕まれたように思い、気後れした。
 ハカセの息遣いだけが教室に響く。
「ご迷惑をおかけしました」汗と呼吸が治まったハカセがしゃべり始める。
「もう、大丈夫ですか?」
「ええ、ご心配なく」一時の狂乱が嘘のように穏やかな表情をしたハカセが受け答える。杉山もやっと安心したようで、しばらく忘れていた笑顔が戻り始めた。
「あの、それで、いったい何だったんですか?」老人が訊ねる。
「何だと思います?」
「病気かと思いました」と杉山が正直に答えると、ハカセは笑い出し、
「いや、病気じゃありませんよ。踊りです」と平然と答える。あのおかしな発作は踊りだったのか。老人は踊りの概念が根本から崩されたような気がした。宇宙人に憑依されていたと答えてくれたほうがよっぽど説得力があると思った。
「ずっとねえ、考えていたんですよ。自分は死んでいるのも同然じゃないかと。人生を振り返ってみて、はたして自分は何をしてきたのかと。そしたらね、残り少ない時間の中で、せめて、やり残したことのほんのさわりだけでも叶えておきたいなと思ったんです」とハカセが淡々と語る。
「それが、さっきの」発作と言いかけて杉山は言葉を呑む。
「孫がね、踊りをやってまして、それが実に楽しそうで、生き生きとしていて、羨ましかったんでしょうね。何かをやろうと思って、咄嗟に出てきたのがさっきの踊りでした。いや、すっきりしましたよ」とハカセは無邪気な子供のように笑いながら、両手を広げたポーズを取っておどけて見せた。
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