同窓会
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 その日、老人はいつもよりも早く目を覚ました。
 窓を開けて、雨戸を開けると、外の景色を眺めた。老人はそこから見える眩しい朝日を見るのが好きだった。しかし、ここ最近乱立した団地郡のせいで、その朝日もわずかに差し込むだけになってしまった。刺すような冷気だけが朝を感じさせる。
「時間は止まってくれない……」
それが老人の朝の口癖だった。
 老人は部屋を出てまず用を足し、鏡で自分の姿を見ながら新しい皺を探す。そして軽く口をゆすいでからまた部屋に戻る。
「お早う、婆さん」
部屋の隅で優しく笑う妻の写真に話しかける。
「今日は同窓会なんだよ」
線香をあげる。
「おまえにも会わせてやりたかったなぁ。いい奴ばかりだったんだよ」
 かすかな記憶の中で生き続ける旧友たちの残像を追いかけていた。追いかけても追いかけても、手が触れそうなところでその影はうっすらと消えていきそうになる。やがてあきらめかけたところでちょうど息が切れて、老人は立ち止まる。
 妻への挨拶がひととおり終わると、老人はのんびりと腰をあげる。
「いい奴ばかりだったんだよ」
 老人は居間へやってくると、食事を始める。朝が苦手な息子の嫁が前の晩のうちに用意してくれた朝食。硬くなったご飯と干からびた鮭と滑らかな味噌汁が、老人の心に重くのしかかる。黙って座り込むと、雨戸も閉め切った暗い部屋の中でラップをはがして箸を持ち、
「いただきます」と言ってから硬い飯を無理に押し込むようにして食べ始めた。弱くなった歯が小さく悲鳴をあげながらゆっくり米粒を砕いていく。それを味噌汁が援助するように流し込む。味気もなく乾いた魚を仕方なしに口に入れる。冷蔵庫の隅に確保しているたくわんだけが食事の唯一の楽しみだった。
「ごちそうさま」
 使い終わった食器を台所に運び、洗面所で歯を磨き顔を洗う。白い頭の中から黒い髪の毛の数を数えてみる。春の終わりのしだれ桜を思い出しながら、ぬるま水で口をゆすぐ。もう一度皺の数を数えて、どこまで増えていくのかと面白がっている。
 部屋に戻ると、前の晩のうちに用意していたよそ行きの服を、鏡で念入りに確かめながら着衣していく。いつもより気持ちおしゃれしたその格好で鏡に向かってポーズをとってみる。久しぶりに着てみた洋服は以前に増して少し余裕があるように感じる。髪も丁寧にセットしたところで
「どうだい?」
艶のある声で妻に向かってアピールする。
「素敵ですよ、あなた」
という妻の優しく柔らかな声が、遠くなった耳にはっきりと聞こえてくる。
老人は少年のようにはにかむ。
「じゃあ、行って来るよ」
「いってらっしゃい、気をつけてね」
妻に送られて、覚束ない足取りで玄関に向かい靴を履き、重い扉を開くと朝の光が差し込んでくる。
 老人は光の中を、ゆっくりと歩き始める。
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