| 巡回する声 |
| こんな夢を見た。 いつもなら、静かな夜だった。 そのはずだった。 わたしは夜十時には布団に入り、翌朝四時に目を覚ます生活を続けている。その夜もこの習慣に倣って、少し早い九時半ごろには部屋の灯りを落としていた。 暗闇に慣れる前に目を閉じて、わたしが枕に頭を沈めたことが合図にでもなっていたのか、ちょうどその瞬間から、その声は聞こえてきた。 田舎というほどの町ではないが、この辺りは都会よりも夜が早く来る。九時を回ってから外から物音がするということは普段ではまずない。ましてや人の声となればなおさらである。この町の夜には当たり前に光と音がない。そういった日常と安心を打ち破るできごとだった。 初めは小さな声だった。三、四軒ほど向こうから聞こえてきたその声は、ゆっくりとこちらに向かって近づいてくるらしく、次第に大きくなってくる。やがて言葉は鮮明になり、また、その時間にはふさわしくないほど声を張っているのがわかる。その声は呪文のように「防犯パトロール、ただいま警戒中」と繰り返している。夜九時を越えてからパトロールをする後ろめたさや配慮は一切伝わってこない。むしろ押しつけがましいとさえ思えるほどの鬱陶しさだった。 小林旭を真似する片岡鶴太郎のようなその声は、態度としては相手を威嚇し威圧しているつもりのようだが、物理的にはそれほど圧力も迫力も感じられない。ただその上滑りするような声は静かで冷たい夜によく響いた。それに拡声器を使用しているようで、電子回路で増幅され劣化した声は、いちいち不快だった。 騒がしいのを我慢して通り過ぎるのを待っていたのだが、二軒ほど先でそれまで繰り返していた呪文がぱたりと止んだ。帰ってきて家に入ろうとした住人に、本当にそのうちの住人かどうか確かめようとしているようで、しつこく尋問している。それはいわゆる「職務質問」というものらしく、自分のことを「警察官」と名乗るその声は、すべて拡声器によって近所中にぶちまけられている。その尋問の様子は周囲への警戒のようにも聞こえるし警告のようにも聞こえる。家の敷地にまで入り込んでいるようで、だいぶ押しが強いというか図々しいというか、少なくともデリカシーはなさそうだった。 警察官を名乗る声はひたすらしゃべり続けている。 職務質問が終わった後もやはりパトロールは続くらしく、我が家にもその脅威は近づいていた。そしてどうやら我が家と隣家の間に入り込んできたらしく、二階にあるわたしの部屋の窓のすぐ下から声が聞こえてきた。依然として警戒を呼びかけているが、そこにあるはずのないコンドームが落ちていると嘘をついてみたり、我が家とも隣家とも関係のない第三者の悪口をしつこく主張するように喚き散らしたりと、だんだん防犯パトロールから内容が離れていく。その声が昂揚すればするほど、もはや何が目的かわからず、それだけに恐怖が募る。そして、非常にうるさい。 おそらくその声は警察官のふりをしている。そう思うと余計に恐ろしくなってきた。 急いで階下に降りると、台所にはまだ起きていた家族がおり、不安そうな顔をしている。やはりその一部始終を聞いていたらしく、そのただごとではない内容と雰囲気から警察官ではなく不審者であろうと意見が一致した。 外では雨が降り出していた。 わたしはその声に気づかれないように外に出て、黒い傘を差して目立たぬようにそっと近づいて、後を追ってみる。 光も音もないはずの夜に、ぼんやりと白い塊が浮かび、そこから電子回路で増幅され劣化したけたたましい音が聞こえてくる。この町の夜にはおよそふさわしくない。 二メートルくらいの距離まで近づくと、その声の全貌が見えてきた。制帽をかぶり、上下に白い防寒具兼雨合羽のようなものを着ていて、右手には赤く不規則に点滅する誘導灯、左手には黄色い拡声器を持っている。遠目に見れば、警察官と言われてそう見えそうな格好をしている。表情は見えない。それが日常とでも言うように、歩き方には一切の迷いがなく、決まった順路に沿って歩いているように見える。 「防犯パトロール、ただいま警戒中」と繰り返し、時たま思い出したようにまた誰かの悪口が始まる。そしてその道中、自分と目が合う人を片っ端から不審者扱いしては呼び止めていた。呼び止められた人は初めのうちは相手を警察官だと思い、蛇に睨まれた蛙のように身動きできず、その場で立ちすくむしかないのだが、しかし、やがてその言動や挙動の異様さに気づくと、皆一様に侮蔑の態度を取り、まるで声が鏡に反射するかのように、できる限りの悪態をついて立ち去った。警察官を自称する白い塊はそれを追いかけようとまではしなかった。 わたしはこの白い塊こそが不審者であると確信する。 すぐにでも本物の警察に通報するべきなのだが、どういう目的でこういうことをしているのか、直接聞いてみたいとも思った。はたしてそれは正義感からなのか、はたまたただの変質者なのか。 どうするか悩んでいるうちに、東の空が白んできた。 |
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