利根川散歩邸アーカイブス 04.11.16-04.11.27
2004.11.16 思い出ばなし
大雨の日に、家の中で雨漏りを発見した弟が一言。
「雨宿りだ!」
2004.11.17 思い出ばなし
『運転中の携帯電話の使用』と聞くと、
決まって苦い記憶がよみがえる。

ある日、家族で食事に行った帰りに、
わたしたちの車の前に無謀な割り込み方をする一台の車が現れた。
危うく事故にもなりかねない事態に、
車内にいた誰もが憤りを隠せず、口々にその車の運転手の悪態をついていた。
次の信号待ちで偶然にその車の右隣に止まったとき、
助手席に座っていたわたしが運転手を見てみると、
なんと携帯電話を使ってべらべらとしゃべっているではないか。
それで、あんな無謀な運転をしていたわけか、
これはもう許せることではない。
怒鳴ってやろうと思い、窓を開けると、
好都合なことに向こうの窓も全開になっているではないか。
これはもうぼろくそにいじめてやろうと思い、
まずは
『ばかやろう!!!!』
とドスの効いた声で一喝。
すると運転手は突然の出来事に見事なくらい体をびくつかせ、
動揺を隠せず、パニックした様子でいる。
これを見てこちらとしてはちょっと満足ではあったのだが、
さらにたたみかけてやろうと、
『電話しながら運転してんじゃねえ!!!!』
と具体的に説教をしようと思ったのだが、
こちらも多少興奮気味だったため、
『携帯しながら電話してんじゃねえ!!!!』
と意味不明、無秩序極まりないかみ方をしてしまい、
こちらがすっかり大恥をかいてしまう始末。
その夜、悔し涙に夜を明かしたことは言うまでもない。。。
2004.11.18 早風美里
この歌声を聴いて涙しないものはいない。
ここはあえてこう言い切らせてもらいたい。
それぐらい間違いなくすばらしい歌い手である。
2004.11.19 認知症
認知症。
この言葉をご存知だろうか?
今後「痴呆」の替わりに使われることになる呼称らしい。
だが、ただ「認知症」と言われたところで
それがどんな症状なのか、その言葉からはどうにもイメージがしにくい。
これまでにも差別につながるからなどの理由により
いろいろな呼称が替わってきたが、
どれも意味がわかりづらくなるばかりで、
その後普及したのかどうかも危ういようなものが多い気がする。
結局、小手先のごまかしにすぎないと思うのだが、
はたして何かしらの成果は出ているのだろうか?
2004.11.21 ニュース
いつ、どこで、誰にどんなやり方で
殺されるとも分からないような国で、
はたして安心して子供をつくろうなんて気になれるだろうか?
下手すれば親すらも加害者になってしまい兼ねないような世の中だ。
そんなむちゃくちゃな世界に無力な子供を巻き込むなんて、
あまりにつらすぎる。

戦争放棄しているからといって、
その国が必ずしも平和とは限らない。
これだけ無秩序な殺人が横行しているような国を、
はたして平和であると言い切れるだろうか?

それにしても、あれだけ憂鬱なニュースを
延々と繰り返し報道できるワイドショーってどういう神経をしているんだろうか。
これ以上放送する必要なんてないんではないだろうか
と思われるようなことまで執拗に報道し続けている。
これはもう病気であるとしか思えない。

この国はとことん病んでいる。
2004.11.23 血液型
最近どのチャンネルにあわせてみても、
血液型と法律のネタばかりで、まったくもってうんざりしている。
節操がないというかなんというか、
本当にあれで視聴率がとれているのか知らないが、
ああどこも同じものばかりやっているのを見せられると
もはやこちらはバカにされているとしか思えなくなってくる。
タダで見てるだけの人間が言うのもなんだが、

結論:テレビの堕落は止まらない。
2004.11.24 温かいもの
最近、学校で必ず飲んでいるものがある。
それは抹茶ラテ。
それほど特別おいしいというわけではないのだが、
温かいものを飲むとほっとする。
そのほっとのために毎日飲んでいる。

なんだか世の中は殺伐としているし、
そんな空気にすっかりやられてしまっているのだが、
温かいものを飲んでいるときは、
そのときだけは煩わしいものを忘れて心が和むのだ。
そういう時間が特別なもので、
無理にでも大切にしなければいけなくなっているというのは
なんだか寂しい気もするのだが、
それでもわたしはその時間が好きだ。

通りすがりの花
2004.11.25 メイコウ法師が語る
人にはその一生のなかで、
動くことのできないポジションというものが与えられています。
例えば、お芝居で言うなら
主演を任せられる人と助演を任せられる人、そしてエキストラ。
そのときどきで、
人はだいたいいつも同じポジションの中で
生きていることになります。
夢や努力ではどうにもならないことがあるのです。
残酷なようですが。

訳:利根川散歩
2004.11.26 氣志團現る
今日、氣志團のボーカルの人と
まったくおんなじ頭をした高校生を見た。
おっしゃれに疎いわたしには到底理解できないのだが、
あれは流行っているのだろうか?
そういえば、以前デーモン小暮のような
世飢魔IIメイクの女子高生が闊歩する姿も見たことがあるのだが、
あれも世の中的にはOKなんだろうか?
わたしにはわからないけど。

背鰭
2004.11.27 わたしは所詮ファミコン世代さ
年をとったせいだろうか。
最近のテレビゲームの画面についていくことができない。
わたしはファミコン、スーパーファミコンの世代で、
あの目の粗い、静かなドットの画面に慣れ親しんでいたもので、
最近のやたらと動きが早く、
3D画面などで情報量の多い画面を見ていると気分が悪くなってくる。
わたしのような落伍者はそう少なくはないはずだと思うのだが、
それに合わせたゲームソフトは最近ではまるでみかけない。
あのドラクエでさえ、最近は3Dの波にしっかりのってしまったようで、
宣伝の映像や写真を見る限り、昔のような素朴さは見られなくなってしまったようだ。
何も進化することだけが、すべてではないと思うのだが、
世の中は留まることも、待ってくれることもなく、
動けないわたしからどんどんと遠ざかっていく。
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