利根川散歩邸アーカイブス 04.10.02-04.10.15
2004.10.02 イチロー
本当の人間の強さっていうのは、
ワタナベ前オーナーの傍若無人な発言権でも、古田の土壇場の涙でも、
北朝鮮の空腹の軍事力でも、アルカイダのテロの脅威でも、
ブッシュ大統領の間抜けなスピーチ力でも、小泉首相の悲愴なはったりでもない。

本当の人間の強さっていうのは「こういうこと」なんだよ。

というのを昨夜(日本時間では今朝)のイチローには教えてもらったような気がする。

ただただ、イチローは強かった。
2004.10.04 頭上に迫った脅威
政治家の偉いおじさんたちは、
戦争を目指して未来にひた走っているけれど、
実際にその未来を生きるのは、
そのおじさんたちではなく、
わたしたち若い世代の人間だ。
わたしたちは戦争のある国なんて望んでいない。

しかし、いつかわたしたちも
あのおじさんたちのように戦争に向かって走り始めてしまうのだろうか?

もはやわたしたちにとって戦争とは、
過去の出来事でも、海の向こうのものでも、
テレビの向こう側で起きているものでもなく、
すぐそこに、自分の頭上にまで迫ったはっきりとした脅威である。
わたしたちはもう一度改めて戦争を直視し、
考え、動かなければならない。

おじさんたちだけにゃあ、まかせちゃいられない。
2004.10.05 出没!!!!
おうっ冗談じゃぁないよっ

笑われるかもしれないが、
今の日本にあれだけ野生の熊が生き残っているとは思わなかった。
熊といえば、動物園やテレビで
飼いならされた、いわば偽者の熊しか見たことがなかった。
考えてみれば、熊だけではなく、
ほとんどの動物を本来の野生の姿で見たことがない。

わたしは動物園に行くと無性に悲しくなる。
動物の入った檻の向こうに高層ビルが見えたとき、
彼らの住むべき場所はこんなところではないし、
狭い檻の中で窮屈そうに動いている彼らを見ても、
本来の姿とは程遠く、何を見たことにもならないとさえ思う。

追伸:わたしの地元にはどうも狸(たぬき)がいるらしいのだが、
   未だに生きている姿は見たことがない。
   見かけるときはいつも路上で車に轢かれたらしい
   死体姿ばかりなのだ。
   たまには生きている姿も見せてほしいものだが、
   彼らにしてみれば、生きている姿を見られたらおしまい。
   ということなのかもしれない。
2004.10.06 メイコウ法師が語る
「殺せない」と
「殺してはいけない」とでは
ずいぶんと大きな違いがあります。
できないことを克服することはなかなか難しいですが、
してはいけないことを破ることは実にたやすいものです。
人殺しが増えるのは、殺せる力や方法が増えたからでしょう。
逆に、彼らを止める力や方法がいっこうに増えないというのは、
なんとも嘆かわしいばかりです。

訳:利根川散歩
2004.10.07 神様
ボサノヴァの神様、ジョアン・ジルベルトのライブに行ってきた。

今回は神様のライブにもかかわらず、
なんと一階席の10列目という
ものすごい席をゲットしてしまったので、
神様はもう目と鼻の先。
見事に丸見えである。
音はといえば、
神様の声とつまびくギターのみという実にシンプルな構成。
優しく、安らぎに満ちた響きに、
わたしを含む観客はすっかりうっとり飲み込まれてしまった。
たった一人のおじさんの声と演奏は
もうそれだけで音楽のすべてとも言えるような、
いや、それ以上の不思議な力で会場の空気を支配していた。

やはりジョアン・ジルベルトは神様だったのだ。
2004.10.08 放送禁止用語
放送禁止用語や差別用語というものが
ここ20年くらいでどんどん増えてきていて
使える言葉というものがほとんどなくなってきた。

わたしは差別を容認しているわけではないのだが、
このような傾向にはあまり感心していない。
ただ臭いものに蓋をしているだけで
差別などに対して何か新しい解釈がでてきたり
よりよい改善をしていこうという意欲があまり見えてこないのだ。
それは、言葉が減るだけでそれに代わる新しい言葉が
あまり生まれていないという現状を見ると特にそう思う。
言葉を減らしたりするだけで、
うわっつらだけ改善しました。
はい、おしまい。
という感じでなんだか差別の本質とかそういうものは
後回しにもされてないくらい無視されているような気さえする。

何年か前にMR.BEANというイギリスのコメディ番組に
盲人を扱ったコントが2つあった。
盲人を前にしてビーンという男が右往左往するコントで、
それはどちらも盲人を笑いものにしたわけではなく、
ビーンという男のただただ、あきれるような行動を笑うもので、
盲人を軽く扱うとこういう酷い目にあう。
というちょっと皮肉な教訓めいたコントでもあった。
そのコントは日本で放送権を持ってるらしいNHKでは問答無用で放送されず、
日本で発売されたビデオでもごっそりカットされてしまっていた。
その理由はまったく説明されることなく不明なままだった。
こういうやり方が本当に差別撲滅につながるとは思えないのだが、
日本的というかなんというか、
依然として臭いものには蓋をしてそれで安心しているやり方に違和感を覚える。
2004.10.10 なんかの日
本来なら今日は「体育の日」のはずだった。
だが、どっかの間抜けな政治家のおじさんたちの作った
ハッピーマンデーとかいうなんとも頭の悪そうな名前の制度のおかげで
今日は何でもないただの「日曜日」になってしまった。

ただでさえ日本は季節感を失っていて、
その季節ごと、地域ごとの風習なり文化なりを
忘れて、ないがしろにしつつあるのに、
それに拍車をかけるようなことをして何になるというのだろうか?

連休になるのだからそのほうがいいだろうと言う理屈らしいが、
祝日というのは、通常の休日以外に
臨時の休日ができるのが粋でよかったというのに、
それはもうすっかり台無しである。

それに、その祝日がどうしてその日になったのかという
意味さえないがしろにしていて、それももう残念というしかない。
そもそも「体育の日」が10月10日になっていたのは
東京オリンピックの開会日という立派な歴史的な記念日でもあったのに、
それがなんでもない10月11日になるのだったら
それはもう別に「体育の日」だろうがなんだろうが関係ないではないかとさえ思う。
おそらく、最近の子供たちの中には
その日がなんの祝日で休みになっているのか
まったく分かってない子もいるのではないのだろうか?
「今日はなんの日?」
と尋ねられれば、
「なんかの日」
と答えるしかなくなる日が、
そのうちにやってくるかもしれない。
2004.10.11 熊のつぶやき
テディは見た!!

「おらだづの生活権ってどうなってんだべ?
 人間こさ、おらだづの山切り崩すだけ切り崩して、
 どんどん山さ奪っていってよぉ。
 ただでさえおらだづの生活苦しくなってんのに、
 この台風だべぇ。
 ちょっとぐれぇ助けてぐれてもいいと思うげんどなぁ。
 何の話し合いもなぐ、おらだづの仲間さ
 ばんばん撃ち殺しやがってよぉ。
 こっづにしてみれば踏んだり蹴ったりもいいどごだべ。
 鮭の一匹でも恵んでぐれてもいいと思うげ」

バンッ!!!!!!

「。。。なっ。。。なんじゃごりゃあぁぁぁぁ!!!!」
2004.10.12 陥没
今年はやたらめったら色んなところで
道路が陥没したり、土砂災害が起こったりしているが、
国土交通省はいったい今まで何をしてきたんだろう。
あれだけしょっちゅう工事を繰り返していて、
結局のところあんなにも道路がもろかったなんて
驚くよりもとにかくあきれてしまうし、悲しくなる。

この近年、災害パニック映画がはやっているが、
わざわざ映画館に行って高い金をはらわずとも、
テレビのニュースでこんなにも簡単に見られる日がくるとは
いったい誰が想像できただろうか。
アメリカ人が見たら、たぶん喜ぶんだろうなあ。
2004.10.13 ふと
ひこうき雲

ふと空を見上げると
その空の青さに
見るものすべてがいとおしく感じられるように思った。
2004.10.14 真昼の蕎麦屋
昼間の蕎麦屋にて、
テニス帰りらしいおばちゃんふたりが、
おそらく1000円以上はするであろうお蕎麦を
たいして深く味わいもせず、べらべらと下らないおしゃべりをしながら食べていた。
その姿を見てわたしは思った。
「中年のおじさんが自殺したくなるのも分かる気がする」
と。
2004.10.15 いい男、ここに眠る。
日本はいい男の基準が非常に低い国だと思う。

最近話題の韓国四天王(わたしはペ以外誰が誰だかわからない)にしたって
実はそんなに大騒ぎするほどいい男ばかりとは思えない。
そこらへんに普通にいる学生とたいして変わらないとさえ思う。

美男子という基準にしたって
テレビなどで取り上げられてる人の多くは
これのどこが美しい男なんだろうと首をかしげたくなるような
不可解極まりない人ばかりだ。

元々それほどいい男に対する評価基準が低い上に
「イケメン」という言葉が出てきてからは
さらにレベルが低くなったように思う。
だいたいそういう安易な言葉なりフレーズが出てくると
ものの価値や評価基準はだいたい低くなるものだ。
一昔前の「癒し系」のときもそうだった。
なんでもかんでも「癒し系」になるし
誰も彼も「イケメン」になってしまう。

最近の「いい男」と呼ばれる人たちは
特に表面的なことばかりで、
内面からにじみ出てくるような美しさが感じられない。
わたしが思う「いい男」は
その人の生き方なりそれまでの過程なりが
顔や、とりまく雰囲気にまでにじみ出てくるような人だ。

ちなみにわたしが
今惚れ惚れするほどいい男だと思うのは
本木雅弘と北野武の二人だ。
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