朝の小説
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 なるべく音を立てぬように外に出る。
 眠っていないのに頭の中は妙に冴えている。
 空は夜なのに少しばかり明るい。星のせいでないということは分かっている。いつから夜はこんなに明るいのか。
 本当の闇夜を望んでいる。
 誰もいない道を歩くのは気持ちがいい。夜に広がる足音はたまらない快楽の味がする。空は暗いのに、無限の広さを感じて開放感を味わう。
 時間があるのにわざと時間を気にして時計を見る。結ばれている靴紐を確かめる。必要がないのに走り出す。誰かに追われてみる。端から端まで星の数を数えてみる。道路標識までの距離を測ってみる。道端の花に挨拶をする。無駄を繰り返す心地よさ。
 物言わず、ただ淡々と黄色い点滅を繰り返す信号を見ていると、夜に生きていると実感する。車の走らない道の真ん中を、白線の真上を腕を広げて闊歩し、誰にも邪魔されない風に触れて、ひとときだけの自由を謳歌する。
 止める者は誰もいない。
 自動販売機の弱々しい光。下品に道を照らす街灯。息を殺す建造物。静まり返る小石の群れ。小さな足音を響かせる空気の冷たさ。誰にも相手にされていないのに、むしろそのせいでさらにその存在を増している。
 
 ここにいる。
 灯の下で口ずさむ。
 いつも予定の時間より早くやって来る。そして不安に襲われ多くのことを考え始める。考えることは決まって不吉なことばかり。むしろそれを楽しんでは自分を安心させようとしているのかもしれない。来ない。いや来る。眠っている。いや起きている。
 目を閉じる。足音がし、肩を叩かれ、声がし、目を開くとそこに「Yという女性」が立っている。
 目を開いても薄暗い道しかない。雑音が時折聞こえてきて、その度にかすかな期待が生じる。その度に不完全に打ちのめされる。
 夜なのに生暖かい。
 デジタル時計は無機質に時を刻んでいく。その音が聞こえてこないだけにそれはあまりに残酷すぎる。待ち望んだその時に近づいているのに、残り時間の切なさに胸を絞めつけられる。
「Yという女性」の家にわずかにオレンジ色の灯が見える。
 黒い人影が現れる。
 小さな壁の後ろに回りこみ、身を潜めてまた多くのことを考え始める。考えることは決まって必要のないことばかり。何かをしなければならない。
 細い視界で動きを追う。犯罪の匂いがする。可愛らしい罪悪感。おちゃめな悪戯。屈折した愛情表現。そこを歩く、「Yという女性」は何も知らない。期待されていないことはよく分かっている。
「Yという女性」の姿が色づく。暗闇から弱々しい光の中にぼんやり現れる。薄暗い壁のこちらでは身を潜めて企んでいる。今か今かと待ち構えている。
 止める者は誰もいない。
 ここにいる。
 なるべく音を立てぬように外に出る。
 空は夜なのに少しばかり明るい。星のせいではないということは分かっている。いつから夜はこんなに明るいのか。
 本当の闇夜を望んでいる。
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