きのこ〜最後の日記〜
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わたしたちはキノコ狩りに来たはずだった。
が、キノコなどどこにも見当たらないし、
食べられそうなものも何一つとして見当たらなかった。

わたしたちがここへやってきてもう一週間になる。
予定では日帰りのツアーだったので、
もちろん食料はとっくに底をついてしまっている。
それでもキノコに対する執着心か、
採ること自体にこだわっているのか、
いつでも出られるはずの森の中をいつまでも
わたしたちは歩き回っていた。

もともと、この森の中にキノコなどあるのだろうか。
わたしはこの森の中で
キノコが採れるという話を聞いたことがない。
この森に入った者が
これまでにあったのかどうかもあやしい。
この町に住む者でさえこの森の存在を
知らないのではないだろうか。

そもそもわたしは何故
このキノコ狩りに参加したのだろうか。
始めからこの森にキノコなどあるはずがないと
分かっていたはずなのに。
好奇心か。
別にこの集団の中に親しい者がある訳でもないから
誘われて来たのではない。
自分の意思で来たのかというと、
それもどうも自信が持てない。

参加者はやつれた顔をしながら、
それでも鋭くなった昏い目は
ただひたすらキノコを追っている。
彼らは特別キノコが好きなわけではないらしい。
食料の中にもそれらしいものは見当たらなかったし、
キノコにまつわる話もまったく耳にしなかった。
キノコ狩りのその目的をただ達成するためだけに
ここまでしているのだろうか。
彼らの顔はこの一週間でずいぶんやつれていたが、
そのせいか凛々しく、妙に研ぎ澄まされ、
集まった頃とはまったく別人のようだ。
何かが乗り移ったのか、
得体の知れない霊気のようなものが
彼らを包んでいるようだ。
神に仕えてキノコを採りに来たとでも
言うのだろうか。
最頂点にまで達しているはずの疲労が余計に
彼らをたくましく見せている。
日常生活にはもう戻れないのではないだろうか。
彼らは絶えず笑みを
口の端に見せている。

ここまでくるともう夢のようだが、
目の前にあるのは悲しいかな、現実である。
キノコ狩りにやってきたのに
キノコがなくていつでも出られる森の中を
いつまでも歩き回っている。

昼も夜も眠る時間以外は
ただひたすらキノコを探し続けている。
おそらく、もうこの森の中に
歩いていないところはないだろう。
しかし、これだけ長くあちこち歩き回っていて、
この森に親しみや愛着を覚えるということが
まったくと言っていいほどないのはどうしてだろう。
それは私だけではない、
他の人たちにおいても同じだと思う。
もしキノコが見つかれば振り返ることもなく即、
この森を出て二度と足を踏み入れることはないだろう。
そして、
思い出すこともありえないのではないだろうか。
思えば、この森の名前すら私たちは知らないのだ。

一週間もいながら参加者の間に
愛情や友情が生まれることもなかった。
もちろん絆などが生まれるはずもなかった。
キノコ狩りの目的を果たすために
それぞれが手を組んでいるだけで、
キノコが見つかりこの森を出てしまえば
長いこと時間を共にしたことも、
他の参加者が存在していたことさえも
忘れてしまうかもしれない。

それにしてもキノコは見つからない。
五日目を過ぎたあたりから、
何故か木登りをしてまで探しているというのに、
見つからない。
六日目あたりからは数人の参加者が
一昼夜をかけて大きな穴まで掘って探しているのだが、
やはりキノコが見つかる様子はない。
そんなこんなでそれぞれがそれぞれの方法で
手分けして探し続けているのだが、
何の報告もない。
あったためしもないし、もちろんしたためしもない。

キノコはどこにあるのか。
もしかしたら時がくれば
キノコがむこうから手を振りながら
笑顔でやってくるかもしれない。
わたしたちはキノコと長いかくれんぼをしているのだ。
わたしたち鬼は、
隠れたキノコを探して森の中を歩き回る。
「もういいよ」
というキノコの声が聞こえてくる気がする。
しかしいつまでも見つけられない
不甲斐ないわたしたちを、
キノコは物陰から息を潜めて覗いているのだ。
キノコはわたしたちの情けない有様を
笑っているかもしれない。
いや、通り越してもはや呆れ果てていることだろう。
文明人を気取って自惚れていながら
キノコ一つも見つけられないわたしたちが
無様に負けを認めるのを首を長くして待っている。
わたしたちが首をさらして諦めれば、
キノコは何食わぬ顔で
その姿をひょっこりと現すかもしれない。
キノコはそのときを今もどこかで心待ちしているのだ。
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