商店
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 こんな夢を見た。
 その村は田舎だった。
 見えるのは緑の山と緑の田んぼ、あとは空が青いだけで何もない。どこから見てもほとんど点にしか見えない民家は数件まばらに緑の中で埋もれている。夜でもないのにこうして外を歩いているのはどうやらわたしだけらしい。観光客が来るようなところではない。そこに住む人すら見つけるのは難しい。
 いつからかそこにいて、目的もなくしばらく歩いて喉が渇いたわたしは、飲み物を探し始める。
 するとそこにわたしのために用意されたように個人商店が一軒現れた。屋号が書かれた看板はほとんど朽ち果てていて、目を凝らしてようやく「商店」の文字が判読できる。その隣にはピンク色になったコカコーラのロゴ看板がやはり朽ちかけている。縁取りだけになった「たばこ」の文字の下には、そこにいたはずのおばあさんがいない。
 店の中は薄暗くカビ臭い。長年蓄積された空気が逃げる場所もなく、諦めたようにそこに居座っている。ほとんどからっぽの什器は目的を忘れたかのように寂しげだ。申し訳なさそうに積まれた米や味噌の隣には下敷きの中で笑う三十年前のトシちゃんがいる。
 冷蔵ショーケースの中を覗くと、ドリンクはコカコーラとほんの数種類の酒が何本か置いてあるだけで、それも在庫があまりになさすぎて敷きつめられることもなく、空いたスペースに倒れて横たわっているものもある。コカコーラはどれを取ってもぬるい。
 ぬるいコカコーラをひとつひとつ手にとってしばらく吟味して、ようやく選んだものをレジに持っていくと、昼間から酒を飲んでいるおやじとべっ甲眼鏡をかけて明るく笑う娘がふたり並んで座っている。
 酒を飲んでいるおやじは片時も左手の湯呑み茶碗を手放すことがなく、右手で宙に無限大を描きながら嬉しそうに笑っている。べっ甲眼鏡をかけた娘は顔立ちも着ているものも地味なうえに、身動きもせずにそこに座っているのだが、声のリズムもテンポもメロディもはつらつとしていて、その笑顔はこの店の空気にそぐわないほどきらきらと光って見える。店長とバイトなのか、それとも親子なのか、並んで座るふたりの視線は交差することがない。
 わたしがぬるいコカコーラをレジ台に置くと、べっ甲眼鏡をかけた娘に「手と首と肉」が描かれたイラストを見せられ、どれかひとつを選ぶように言われる。わたしが戸惑いながらひとつ選択すると、べっ甲眼鏡をかけた娘から手も首も肉も関係のないとんちの利いたようなクイズが出題される。わたしがとんちを働かせて正解すると、べっ甲眼鏡をかけた娘は悔しそうな顔をしながらレジ台の下からファイルを取り出し、ぬるいコカコーラと一緒にしてわたしに差しだす。ファイルにはこの店で購入した品物が書き込めるようになっており、後ろの方のページには酒を飲んでいるおやじの自作らしいポエムがいくつか書き込まれている。ポエムはどれを読んでも甘い。
 わたしは早速そのファイルに「ぬるいコカコーラ」と書き込む。
 ふと思い立ち、ついでに下敷きも買っていくことにした。下敷きが必要だったからではない。そのファイルに「三十年前のトシちゃん」と書き込みたかったからだ。下敷きを買うときにもとんちの利いたようなクイズが出されるのかと思ったのだが、べっ甲眼鏡をかけた娘は淡々と会計を済ませるだけであとは何も言わない。
 とんちの利いたクイズがいつどんな条件で出題されるのか気になり、ためしに他にも何か買ってみようと思ったのだが、まるでその動きを制するように、ほんの一瞬だけ正気に戻ったおやじが店じまいを始めたため、とうとうわからないまま追いだされるように店をあとにした。
 再び外観を見てみると、今さっき中で買い物をしたばかりであることが信じられなくなる。ただ、わたしの両手にはぬるいコカコーラと三十年前のトシちゃんがいる。とんちを働かせてもらったファイルは慌ただしく店を出てくるときに落としてきてしまった。
 そんな商店があるようなこの田舎で、わたしはこれから働くことになるらしい。
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