あのころ 星河
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 星河に初めて会ったのは中学一年の時だった。
 最初の印象は覚えていない。たぶん気持ちが悪いとかそのような類だったと思う。
 地黒で人より少し老けた顔の中でぎょろりとした目が光り、一度動き出すと落ち着きがなくなり何をしでかすかわからない。聞き慣れない福島訛りで興奮しながらしゃべるその姿を不思議なものを見るような目で見ていた。そういう妖怪がいてもおかしくないとも思った。
 わたしと星河が初めて交わるのは、一学期の学級委員選出のときだった。わたしは一度くらいはやってみようかと手を挙げた。そこに対抗馬として現れたのが星河だった。もしかしたらだめかもしれない、小学校でも一回も選ばれず、まただめか、ついてないな、と思った。というのは真っ赤な嘘で、まったく相手になるわけがないとほくそ笑み、結果その通りだった。
 星河はその姿だけでなく、その行動でもわたしを驚かすようになる。
 いわゆる奇行というやつだ。
 廊下でお目当ての女子を見つけた星河が、奇声をあげながら彼女目がけて駆けだして、その勢いのまま飛びつき格闘しだしたことがあった。犬が慣れた人間にじゃれついているのと同じようなものと思えば、かわいく思えるかもしれない。でも、星河は犬ではなく人間であり、あるいは妖怪かもしれない。理性よりも本能が先に立つ彼の行動をわたしはただ呆然と見ていた。
 ぎょろりとした目はきょろきょろと視線が飛び、表情は名前の美しさと反比例するかのように不細工で、野獣のようにむき出しになる本能はやがて近寄りがたいオーラとなって放たれる。不規則な気分と行動は本人ですら予測できない。
 まさかそんな星河と親しくなるとは思ってもいなかった。
 校外で初めて星河と遊ぶことになったのは、中島、大西と四人で出かけた上野ツアーだったと思う。わたしたちは動物園に行ったりアメ横で買い物をしたり、なんてことのない休日を過ごしていた。星河はちょっとやんちゃな大西の荷物持ちをさせられていた。
 最初の事件が起きたのは、アメ横の立ち食い蕎麦屋での昼食の際だった。星河は普段からそうしているのか、七味の入ったスチール缶の蓋を開け、そこに七味をある程度溜めてからうどんにかけようとしたらしいのだが、誤って缶の中の七味のほとんどをうどんに直接ぶちまけてしまった。真っ赤に染まる激辛のうどんを、星河は店のおばさんに怒られながら涙混じりでたいらげていた。わたしも試しに一口食べてみたのだが、それは辛いなんてものではなく、舌が痛いだけでもはや食べ物ではなく凶器だった。それを星河はすべてたいらげた。
 その日一日中大西の荷物持ちをした星河は、帰る前に夕飯で寄った上野駅の立ち食い蕎麦屋では昼の失態から名誉を回復するかのように二品目をたいらげたが、常磐線に乗ったとたん顔色がみるみる悪くなり、寂しい廃墟のような三河島駅で途中下車するはめになった。便所に駆け込み星河が用を足している間、扉の外で大西がうんこを見せろと無茶な要求をする。しかし、そのトイレの仕様のせいだったのか誤って流してしまい、理不尽に責められることになった。
 こんなこともあった。テレビ番組で流行っていた口げんかを昼休みに遊びでやっていたときだった。星河と渡部が勝負を始めたところ、次第にふたりは熱くなり、やがて本気でつかみ合いのけんかを始めてしまったのだ。ふたりを始めそこにいた関係者はその後、職員室に呼び出され事情聴取を受けることになったのだが、その場にいた誰もが何故このような事態に発展したのかうまく説明できず、教師を呆れさせるだけだった。
 星河は予測不可能な男だった。
 あの男がいると周りは知らないうちに事件に巻き込まれ、それは不可解ながらも決して不愉快ではなかった。
 あの男が意図的にそうしていたのか、それとも無意識にわたしたちを混乱に陥れていたのだろうか。
 初めのうちは本当に頭のおかしな男だと思って敬遠していた。でも本当のところは、彼には彼なりのサービス精神があったのかもしれない。目立ちたい、楽しませたい、そういう純粋さがやがて本人はおろか誰にも抑えられない狂気に発展していたのかもしれない。そしてその衝動はわたしにも共感できるものだったから、いつしか彼と一緒にいることが楽しくなっていたのかもしれない。
 ただ、事の真相を本人に聞いても、あの不気味な顔でにやにやと笑うだけだろう。
 星河はもういない。
 死んでしまったわけではない。私の知らないどこかへ帰っていってしまった。
 星河は人間ではなかったのかもしれない。やっぱり妖怪だったのかもしれないし、地球にやってきた異星からのスパイだったのかもしれない。
 星河は行き先も告げずひっそりとその姿を消した。
 寂しいわけではないが、星河のいない世界はなんとなく物足りない。
 あの訛りのあるしゃべりももう聞くことはないだろう。あの不気味な笑いを見ることもないだろう。
 しかし、それをことさら寂しいとは思わない。何故ならそれらは私の記憶の中にしっかりと住みついてしまっているからだ。
 むしろ、それがどうにかならないものだろうか、と思う今日この頃である。
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