あのころ 祖父と犬
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 亡くなった祖父は、いつも犬を飼っていた。
 祖父の敷地内にある彼の工場の脇には繋がれた犬が常時三匹くらいはいたと思う。
 繋がれた犬たちはいつも埃に汚れていて、虚ろな目をしていた。繋がれているため、動ける範囲は狭い。その狭い中で寝転がっていたり、あるいは力いっぱい吠えてみたり、祖父が捨てた吸殻を踏みながら可能なかぎりうろうろと歩いてみたりする。首輪からたどると、廃材で粗雑に作られた隙間だらけの犬小屋があり、その前には灰皿の使い古しが地面に転がっていて、いつかの牛乳が乾いてこびりついている。
 番犬として飼っていたのか、どこからか迷い込んできた犬を憐れんでいたのか、はたまた気まぐれに置いていただけなのか、それとも大の犬好きだったのか、理由は分からない。いつ見ても薄汚くやつれたあの犬たちがいつもどこから来ていたのか。いつの間にか増えていたり減っていたりする彼らには、それぞれ繋がれる場所は決まっているようだったが、名前はなかった。
 番犬としては、たびたび訪れているわたしにでさえいつも吼えていたぐらいだから、知能はなくてもそれなりに役にたっていたのかもしれない。中には番犬としてはおおよそ成りえないような小さな犬もいたが、特別に家の中で育てるでも愛でるでもなく、廃材で組み立てた粗末な小屋に他の犬たちと同様に繋がれていた。
 どこから見つけてくるのか、絶えず祖父のあの広い敷地のどこかに犬がいた。
 特別犬が好きだったようには見えなかった。一見粗末なえさを与えてそのまま放っているだけに見えた。祖父が犬とたわむれている姿を見たことがない。抱いている姿も見たことがない。散歩させている姿すら見たことがない。今思えば、わたしもそこにいた犬たちをかわいいと感じたことがなかった。犬はかわいがる対象だと知ったのは、実は祖父が亡くなってからずいぶん後のことだったような気がする。
 祖父にとっての犬という存在は、やはり番犬としての価値しかなかったのだろうか。そこに愛はなかったのか。
 いつも薄汚れていて、内臓がはみ出て死にかけている犬さえいた。彼らは祖父をどのような眼で見ていたのだろう。何を思いながらあの粗末なえさを食べていたのだろう。何のために誰のために声を枯らしていたのだろう。鎖に繋がれたまま、思うように生きることができず、あの敷地の中で死んでいった彼らのことを思う。かわいがられたことがない彼らが、人に甘える姿を見たことがない。おそらくはそういうことも知らないままだったのだろう。犬にも幸せという価値観があるのかわからないけど、少なくともあそこにいた犬たちにはそれを感じることはできなかったのではないか。
 今はもう、その敷地に犬はいない。犬小屋もいつの間にかなくなってしまった。おそらくは墓すらもないのだろう。彼らとの記憶もやがては失われていくかもしれない。
 祖父が亡くなった今、すべての答えはあの敷地のどこかで静かに眠っている。
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