あのころ ひまわり
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 ひまわりを見ると、決まってあの夏を思い出す。
 もう七年も前のことだ。
 何もすることがなく何もするあてもなく、目的地も決めずにだらだらとけだるい暑さの中を散歩していたら、どこをどう歩いてたどり着いたのか、ふいに見たこともないほど広がるひまわりの一群がわたしの目の前に現れた。この町に住んで長くなるのに、このような場所があることをそれまで知らなかった。
 この町にあるのは、煤けた墓石のように立ち並び地表の影を無言で見降ろす団地や、そこから逃れることができずに今やまるで他の世界からも取り残されてしまったように暮らす住人ばかりで、まるで華やかさや活気とは無縁だった。年老いて退屈に支配された町では誰もが希望を知らず、わたしのようにただあてもなく目的もなくあきらめたようにだらだらと日々を過ごしていた。
 そんな町にはおよそ似つかわしくない、美しく気高く咲くひまわりの群れが、あたりをまぶしく照らしているように見えた。太陽に向かってすぅっと姿勢よく伸びるその姿は毅然としていて、凛とした花弁一枚一枚のその意志の強さに思わず気後れする。風が吹くたびにゆらゆらと、まるで歌を歌うようにひまわりたちは揺れる。しなる茎からは力強さがあふれ、そこには生きる喜びもまた満ちているように思えた。
 わたしは誘い込まれるように、自分の背丈よりもあるひまわりの群れに分け入った。かさかさと風に揺れるひまわりの影の中で、妙な心地よさを感じた。それは日陰による涼しさのせいか、ひまわりの吐き出す酸素のせいなのか分からない。あるいは、この無数のひまわりによって外界の何ものからも護られている気がしたのかもしれない。
 わたしはひまわりの優しさに包まれているように思えたのだ。
 ひまわりの美しい花の傘に護られて、わたしは気づかない内にそこで眠り込んでしまった。
 どれくらい経ってからか、声が聞こえて目が覚めた。
 ひまわりの中であちこちから声がする。
 わたしを呼んでいた。
「おいで、おいで」と。
 まだわたしは夢を見ているのかもしれない。ふらふらと立ち上がり、覚束ない足取りで声に導かれるようにして歩き出した。漫画や絵本で観たような、いわゆるファンタジーと言われるようなわくわくする世界が待っているのかもしれない。もしくはまだ見たことも体験したこともない世界へわたしは近づいている。いつになくわたしの胸は弾んでいた。
 声が近づいてくる。子供の声が増殖していく。
 ひまわり畑はどこまでも続いている。
 わたしはどこへ連れていかれるのだろう。
 交互に見えるひまわりの鮮やかさとその影の中で、わたしは歩くたびに自分の身体からそれまで当たり前にあった感覚が次第に失われていくのを感じていた。足はやがて重くなっていく。遠くに見えたひまわりの花が近くなってくる。いつになく太陽が恋しい。身体の中には水があふれていく。風と歌うように身体が揺れる。喜びが満ちてくる。
 子供たちの声がこだまする。
 わたしを迎える声がする。
 わたしの足は止まる。そして土に根を下ろす。
 子供たちの祝福する声が聞こえる。子供たちの喜ぶ声が聞こえる。
「これで君もぼくらの友達だね」
 わたしはひまわりの群れの中で、太陽を見上げた。
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